Dr シイナのブログへようこそ
私の最後の仕事として
“セルフメディケーション”という言葉を選びました。 世界保健機関(WHO)では
「自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」と定義しています。
“自分自身の健康に責任を持つ”ということは、先ずは病気にならないための知識を学び、日々それを実行し、一つ一つ積み重ねていくことが大切だと考えます。
私は50年余り、顕微鏡の世界で主に子宮頸がんに関わる仕事をしてきましたが、その中でたくさんの感動に出会えました。
その一つが “女性の神秘” です。
顕微鏡の前に現れるひとつ一つの現象には必ず、それなりの理由が存在するのですが、その訳を知ると“神秘”としか言いようがないことが多いのです。
ひとりでも多くの(女性の)皆さんにこの
 “神秘の世界を見える化” することで、
自身の健康状態を確認しながらQOLの向上に役立てていただければと考えました。
具体的には顕微鏡で見える世界でご自身の今の状態を観察するものです。多分このような試みは多くないと思いますが、皆さんと一緒に作り上げていきたいと思いますので、ご協力をお願いいたします。

為せば成る為せねばならぬ何事も
成らぬは人の為さぬなり

米沢藩第9代藩主上杉鷹山(ようざん)が読んだ歌です。
私が杏林大学保健学部の教員であった若き頃。
北里大学医療衛生学部卒業まじかかの青年が、私共保健学部の修士課程に進学したいと言って来ました。
とても小さな光でしたが、何かを感じました。
修士課程を修了する頃、光の粒がまだぼやけていたけど少し大きくなった気がしました。
そして、同病理学教室の教員・研究者の道を歩むことになりましたが、教室も違ったことや、まだ若いので、しばらくは黙って見守ることにしました。
でも、最初から言い続けた事が2つありました。
大学の教員になったからには「学位を取得しなさい。そして母校で教授を目指しなさい」と言ってきました。
大学院(博士課程)に進んで学位を取得するのが一般的(大学院研究科の教授の責任)かも知れませんが、彼の場合は既に教員ですので、働きながらそれを目指すのです。
その上に大学教授を目指すわけですから、そう容易なことではないはずです。
研究一つとってもすべて自分一人で解決して乗り越えていけるものではありません。目の前にはだかる様々な課題を一人で解決できるものではありません。
沢山の助けを頂きながら一歩、そしてまた一歩目の前の課題を解決していきます。当然助けて頂いた人達には感謝の気持ちでその後もお付き合いしていきますが、時には助けて頂いた方に恩返しできることもあります。この連鎖こそが博士として教授としてふさわしい人間に成長するものだと私は考えています。
ですから学位取得と教授への昇任は是が非でも目標に掲げて欲しかったのです。

それがかない、今日お祝いのパーティーが都内で

受付開始時間を5分過ぎてようやく会場につきました。
10人近くの教え子が遅刻を心配してか?入り口で出迎えてくれました。
懐かしい顔。顔。
いつになっても教え子。
可愛いものです。

私が大学を辞めてからの子供達

とても変な感じ。
一度もあったことがない子達。
何か自分の教え子みたいな不思議な錯覚。
みんなに会えてうれしかった。
ぜひアイラボにも遊びに来てね。

(大河戸先生が)お世話になった先生方、特に

HPVの研究では日本を代表する笹川先生には何度もお会いしていますが、今回はゆっくりお話ができました。
大河戸先生は「学会では怖い先生」と言っていましたが、とても気さくな先生でした。
これから一緒に活動していけることになり、ちょっと嬉しい気持ちになりました。

翌朝、ふと外を見ると彼岸花が

今年の厳しい暑さのせいで、手前の里芋の葉は哀れな姿ですが、
その向こうの彼岸花はお彼岸を満喫しています。
改めて、自然のすごさに感動しています。

大河戸先生頑張れ!
教え子の皆さんも頑張れ!

為せば成る為さねばならぬ何事も
成らぬは人の為さぬなり