自己採取法による子宮頸がん検診(2022年度)の集計が出ました

2022年5月の厚生労働省広報誌に『ワクチンについて知ってください子宮頸がんの最前線』という見出しの記事があります。
要約すると、8年ぶりに“2022年4月からHPVワクチン接種の積極的な勧奨が再開された。” その背景にはカナダやイギリスでは80%以上の人が3回の接種を済ませているのに対し、日本ではわずかに1.9%(2019年集計)であったと言っています。
そして“日本では年間11,000人が子宮頸がんを発症し、2,900名がなくなっています。”20代から発症し、30代までに治療によって子宮を摘出して妊娠できない人は1,000人にも及ぶようです。
【そして予防が大事だと!】
ワクチン接種でHPVの感染を予防しましょう。
子宮頸がん検診で早期に発見して、早期の治療につなげましょう。
ワクチンを接種しなくても2年に一度は検診を受けましょう。
2年に一度は検診を受けましょうというばかりでは日本女性は反応しないのでは

2,009年、『子宮頸がん検診の受診率を5年間で50%まで上げる。』と豪語した人がいましたが、今はどうなっているのでしょうか?

あれから13年が経って今の受診率は?

同じ広報誌の<Part4>では、健康局 がん・疾病対策課 課長補佐の渭原先生が解説されていますが、“子宮頸がん検診の受診率は43.7%”で、30代後半から50歳で50%を超えているが、20‐24歳では15.1%と最も低くなっていると解説しています。

『そうした若い世代に対して、各自治体では検診の周知のやり方を工夫しています。たとえば、成人式で啓発をしたり、大学と連携したり、SNSで情報発信をしたりしています。』、、、でも、受診率は上がらないんですよね?

つまり、“13年経過してもまだ50%の目標も達成されていない”のです。

アイラボは自己採取法を対策の柱に掲げてきました。

細胞診断学を業とする私達は、日本女性を子宮頸がんから守るために自己採取法への理解と普及に努めてきました。
その根幹には、“医師採取に比べて精度が劣る” との批判があるのなら、“細胞診のプロとして最善の努力をしてみよう。それでも意味のないことであるならまた違った方法を考えよう。” そんな思いでこの20年間自己採取法と向き合ってきました。

(ふと昔を思い出しました)細胞検査士あり方委員長を仰せつかって初めての仕事が、『細胞検査士責任賠償保険への加入』でした。ところがある時、細胞検査士会の重鎮(故MH先生)から電話を頂き、急遽日本臨床細胞学会の重鎮(故YT先生)とお会いすることになりました。YT先生曰く、全ての責任は細胞診指導医(現在は専門医)が持つので、そのような保険は必要ないと言われたのです。細胞診は細胞検査士が最初に標本を観察し(スクリーニング業務)、もし異常な細胞があればそれにチェックを打って、細胞診専門医の先生がさらに観察して最終診断を行うという仕組みです。『もし最初のスクリーニング業務で異常な細胞を見落としてしまったら、それは専門医の先生の責任ではなく、見落としてしまった細胞検査士の責任は免れません。ですから、責任賠償保険は私達にとって必須なのです』と言ってご理解を求めました。しかし内心は、(細胞検査士ありかた委員長として)間違いを犯してしまった時の責任賠償は当然のことですが、“同僚の細胞検査士に向け、細胞検査士とは極めて責任の重い仕事である、知識・技術を磨くために切磋琢磨し、この仕事に従事する上での使命感・責任感を自ら養い、細胞検査士としてのプライドを持ってほしい”という思いがありました。
その時YT先生は私にとってとても重要なお話をしてくれました。『これから細胞検査士としていろいろな仕事をしていくとき、自分の意にそぐわないことが山ほどあるかも知れないが、すぐにあきらめず、自分が納得できるまで例え相手が医師であろうと、信念を曲げないで頑張れ、ただし、(細胞検査士として)ストライキだけはやってはいけない。いいかい。』そんなお話を頂いたことを思い出しました。

日本女性の子宮頸がん検診の受診率が低い理由は、“医師に採取されるのが苦手な人”、“仕事や子育てが忙しく検診を受ける時間がない”、“症状もないのに面倒” などが考えられます。

細胞診に従事する人へのモットー

ちょうどその頃、杏林大学保健学部で教鞭をとっていたこともあり、子供たちに細胞検査士として誇りをもって生きて欲しいという思いから、(一週間ほど入院したベッドの中で)こんなことを考えました。
そして今は、アイラボのモットーとして検査室に置いてあります。

アイラボにおける自己採取型子宮頸がん検査(2022年度分追加)

2022年度(2022.4~202.3)にアイラボで実施した自己採取型子宮頸がん検査は検診機関からの依頼に加え、郵送にて個人から依頼されたものを含みますが、風俗従事者の検診は含まれません。
総受託件数は2377件で、適正に検体が採取されていなかったものは6件(0.25%)、NILM(異型細胞が見られない)は2285(96.37%)、ASC-US(細胞の由来がはっきりしない、HPV感染も否定できない)は44例(1.86%)、LSIL(軽度異形成、HPV感染)は29例(1.22%)、ASC-H(HSILの存在が否定できない)は9例(0.38%)、HSIL(中等度異形成~上皮内癌)とSCC(本来扁平上皮癌がここに入りますが、この1例は悪性が推定された特殊なケースで扁平上皮癌ではありません)は各1例、AGC(異型腺細胞)2例(0.08%)でした。従って、ASC-US以上は3.07%LSIL以上は1.78%になります。

風俗営業従事者を集計に加えなかった理由
今年度は、風俗営業従事者について、自己採取法で30名の子宮頸がん検診を実施しました。
検査の内容はハイリスク型13種のタイピング検査と細胞診を同時に検査しました。
その結果、細胞診においては、NILMが18例、ASC-US・LSIL共に5例、ASC-H・HSILがともに1例でした。
従って、ASC-US以上は40.0%LSIL以上は23.3%であり、前述の一般の人対象にした検診と郵送検査で実施したグループに比べ、おおむね10倍以上の陽性率を示しました
この結果は、我々が以前報告した成績と全く同様でした。
さらに驚くことは、同時に行ったHPVタイピング検査では23例(76.7%)において1種類以上のハイリスク型HPVの感染が確認されています。

同じ年度に行われた医師採取子宮頸がん検査の成績と比較

比較のために2検診施設の2023年3月15日までの成績を示します。なお、全ての検体はアイラボ式LBC法で標本を作製し、A検診施設はサーベックスブラシ、B検診施設は頸管ブラシで採取されています。
A検診施設は、検診総数5462件でASC-USは47例(0.84%)、LSILは8例(0.15%)、ASC-Hは2例(0.04%)、HSILは3例(0.05%)、AGCは7例(0.13%)で、ASC-US以上は1.21%LSIL以上は0.37%でした。

B検診施設は、検診総数726件でASC-USは15例(2.07%)、LSILは7例(0.96%)、ASC-H、AGCは各1例、HSILは3例(0.41%)で、ASC-US以上は3.12%LSIL以上は1.65%でした。

加藤式による子宮頸がん検診でも大きな差はありません。

私達の検査成績を見ても、加藤式自己擦過法による子宮頸がん検査は、医師採取に比べても著しく検出精度が落ちることはありません。しかし、自己採取法に関しては、ややもすれば「悪法」であるかのごとき発言をする細胞診関係者は少なくありません。
当然のことではありますが、子宮頸管内に発生する子宮頸部腺がんを早期に発見するという点からは医師採取に比べれば劣ることが想定されますが、HPV感染に伴う変化を早期に発見し、医療機関への橋渡し的役割と考えれば決して「悪法」ではなく、特に検診受診率の低い若い世代へ自己採取法の門戸を開くことで受診率向上が期待されます。健康保険組合や検診機関では「子宮頸がん検診ガイドライン」が存在することで、自己採取法は「ダメの一点張り」の機関から、「希望者には提供する」機関もあり、私個人的には、せめて「医師採取が苦手な方には自己採取を選べます」程度のやさしさがあってほしいと考えます。前述の故YT先生の言葉『これから細胞検査士としていろいろな仕事をしていくとき、自分の意にそぐわないことが山ほどあるかも知れないが、すぐにあきらめず、自分が納得できるまで例え相手が医師であろうと、信念を曲げないで頑張れ』を忘れず、少しでも子宮頸がん検診の受診率向上に努めたいと考えています。

なぜ「悪法」になってしまったのか? それにもまた訳があるのです。
それは検査にかかわる検査機関や細胞検査士の使命感が大きくかかわっているのです。
つまり、検査精度は「適切な採取」「適切な標本作製」「適切な(顕微鏡の)観察」この3つが全て適切に実施されて初めて検査法として成立するのです。従って、どの採取器具を選択すべきか、どのような標本を作製するのが良いか? いかに使命感をもって観察するかにかかっているのです。利益を優先すれば「安い採取器具を選ぶ」だろうし、「加藤式が推奨する直接塗抹より良い方法はないか」といった向上心があるか? 自己採取法なので(異常な細胞が相対的に少ないので)よりしっかり観察すべきなのに「サーっと見てしまった」といった細胞検査士の存在が「悪法」にしてしまったように思えます。
細胞診に関わるものの責任と言っても過言ではないのです。

こんなことを私達自らの反省点に掲げ、自己採取法の普及に取り組む仲間ができることを切に願うばかりです。